<a href="//blog.with2.net/link/?1930729">人気ブログランキングへ</a>福祉国家の起原は19世紀後半から始まります。それまで社会保障という概念は存在しませんでした。1880年代にドイツで社会保険というものが導入されたことを切っ掛けにそれは各地へ広がっていきます。今回はEUにおける社会保障の歴史を紹介していきたいと思います。
福祉国家の拡大期
福祉国家が広まっていったのはWWⅡが終わってから1960年代にかけてです。市場メカニズムによって所得格差が生じることで政治不安定を起こす可能性があったため、それを是正するために国家は下流階級の人々に社会保障という形で分配を行うことにしました。
政治メカニズム(=利益政治のしくみ)
国は政策/予算のところで国民に”受けのいい”ものを提示することで国民に”受容”させようとします。いわゆる票集めのための政策ですね。それが福祉政策だったというわけです。それが投票という形で支持されることで、国はさらに税金をばらまきます。
ここで気づく人も多いと思いますが、それを続けていけば税の負担に限界が来ます。そして1970年代には転換期が訪れるのです。
〈利益政治によってもたらされた課題〉
① 経済格差の拡大
② 経済成長優先による環境汚染⇒環境保護の運動、政党の登場
③ 財政危機
④ 階級構造の変容⇒国家と市場の二重構造の出現
〈福祉国家の危機に対する対応策〉
① ニューライト(新保守主義)戦略―イギリス
民営化や規制緩和による福祉供給への市場原理の導入を通じた福祉の効率化
② 「新ケインズ」戦略―フランス
政府が積極的な経済介入を行い有効需要の創出を図る
③ 「ネオ・コーポラティズム」戦略―スウェーデン他北欧諸国
政労使合意の下社会政策の充実と引き換えに労働コストを引き下げることで国際競争力を強化
⇒①、③は成功。②は資本の国外逃避により失敗。
1990年代~
②⇒「欧州モデル」の誕生
オランダをモデルにした「欧州モデル」
1970年代後半‐1980年代「オランダ病」と呼ばれるものが流行していました。天然資源の輸出で製造業が衰退し、失業率が跳ね上がっていたのです。その失業者達をどうにかしようと政府は対策を講じます。それが以下の3つです。
① 賃金抑制策
② 社会保障改革
③ 積極的雇用政策
この結果どうなったかというと、1990年代には2桁だった失業率が2%にまで低下したのです!特に②の社会保障改革は大きなものでした。従来は現金を給付することで収入の少ない人々を支えてきましたが、労働市場に積極的に参加させるような政策に転換したことで税の負担と失業率の両方を減らすことに成功したのです。
この積極的に労働者を労働市場に参加させることに成功させたオランダの政策は「オランダの奇跡」と呼ばれ、各地でも真似されるようになっていきます。しかし、あくまで労働者として社会参加を促すだけで、正規雇用の人間が増えたわけではないということは留意しておきたい点ですね。
このようにオランダでも国による社会保障支出の削減に繋がったことからほとんどの国が自由主義的レジームに収束するのではないかという論説もあります。実際にスウェーデンも統合後にEMUの収斂基準を守るために社会保障費を削減せざるを得なくなり、社会保障費を減らしています。
EUも自由主義的レジームに収束するのでしょうか。
それに関してはEUの社会保障の歴史に関して次のコラムで述べていきたいと思います。
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